先日、このブログのコメントに、――“歌塾「萩の舎」で学んだ一葉の学友を誕生年で見ると、田辺龍子(花圃)が1868年、太田竹子が1870年、樋口夏子(一葉)と伊東夏子が同じ1872年。”――と書きました。
太田竹子の生誕年は、木下杢太郎側の資料から、田辺龍子(花圃)と伊東夏子のそれは、『樋口一葉と歩く明治・東京』から引用したものです。
このうち田辺龍子の誕生年について、忘れないうちにメモしておきたいことがあります。田辺龍子(花圃)は、本人の文学活動に加えて、海外へ早くから交渉に出た幕臣・田辺太一の娘で、三宅雪嶺に嫁いだ経歴からも話題の多い人物です。その彼女が1868年生だとすると激動の明治維新の年ですから、いつごろ生まれたのか気になるところです。
が、きょうの報告は形式的なことがらです。龍子の生まれたのは確認できたところでは、明治元年十二月二十三日。明治維新=1868年という常識的な知識からも、上に書いた龍子の生年1868年には何の問題もないように見えます。しかし、単純にはそう言えないのが、旧暦(太陰太陽暦)と新暦(太陽暦/グレゴリウス暦)の対応です。
旧暦が行われていた当時の明治元年11月18日が、グレゴリウス暦(G暦)で1868年の大晦日12月31日であり、その翌日、11月19日が、G暦の新年元日(1969年1月1日)となります。このように旧暦と新暦とでは日付は一致しませんし、年があらたまるのも違った日となります。そして、11日18日からさらに一か月ほどたっている龍子の誕生日〔明治元年12月23日〕は、G暦1969年2月4日なのです。
龍子の生まれた日〔12月23日〕について言えば、明治元年であっても、《1868年ではなく、1969年なのです》。
江戸時代以前は言うまでもなく、明治時代についてもグレゴリウス暦が実行される前の――“来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候”とされる前日の――明治5年12月2日までは、旧暦と新暦は平均で35日のずれがあり一致しないのです。一致するのは明治6年1月1日以降なのです。
〔明治5年12月2日=1972.12.31、その翌日は明治6年1月1日=1973.01.01〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=200312
なんの偶然か、龍子と同じ旧暦の12月23日に生まれた作家がいます。徳田末雄(秋声)です。彼の場合は、明治4年12月23日で、新暦換算では、1872年2月1日となります。もちろんここでも明治4年=1871年というわけにはいきません。
話を田辺龍子に戻しましょう。彼女について言えば、net上でもほとんどが生誕年を〔1868年〕としていますが、やはり西暦で表示する場合は、1869年とすべきではないでしょうか。徳田秋声についても、〔明治4年12月23日(1872年2月1日)〕と正確を期したものもありますが、西暦単独表示の場合、〔1871年〕が多く見られるようです。
〔追記〕
新暦〔G暦〕実施以前に生まれた人々の生誕年(月日)の表記に、こだわるのにはいくつかわけがあるのですが、そのことについては、あらためて書きたいと思います。
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