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2009年5月 7日 (木)

一葉と廉太郎のいた明治の東京

 樋口一葉が半井桃水に会うきっかけをつくり、一葉にキリスト教を紹介した一人でもあろう野々宮きく子が、東京府高等女学校(M22.4から24.12、在学)を卒業した後、「翌年〔明治25年〕一月から麹町小学校に勤めた」ことを、「一葉全集」の脚注(Vol.3上-66p)で知り、少しあわてました。

 なぜならこの頃、富山から東京にもどった滝廉太郎が転入した小学校が、“麹町小学校”だったからです(5/2の項、参照)。急いで、廉太郎の年譜を繰って、ちょっとがっかりする結果となりました。野々宮菊子の話は、一葉と廉太郎の年譜をならべてどこかで重なることがないか、ずっと眺めていたときに目に飛び込んできた、小さいながらうれしい情報だったからです。

 年譜では、廉太郎は明治21年5月に麹町尋常高等小学校尋常科三年生に転入し、23年3月に尋常科を卒業しているのです。父吉弘は前年に出身地である大分県の大分郡長に赴任していて、廉太郎は祖母ミチと姉リエとともに東京に残っていたのですが、祖母が亡くなり、麹町小学校の高等科に進まずに、大分の家族のもとで大分県尋常師範学校付属小学校の高等科に入学することになるのです。
 野々宮きく子は、廉太郎が大分へ去った翌々年、麹町小学校に先生としてやってきたのです。

 のちに一葉が最後の住処となった本郷区丸山福山町に移ってきた明治27年5月に、廉太郎は大分から音楽学校入学のために従兄弟・大吉のもとに再上京してきます。ここから生涯出会うことのなかった明治の二人の天才が、東京の近距離で、それぞれの最後の創作に向かった時を過ごすことになるのです。

 なお、樋口一葉は滝廉太郎より5年早く生まれ、7年早くこの世を去っています。が、廉太郎が同居し“お兄さん、お姉さん”と慕った滝大吉夫婦(夫婦ともに廉太郎のいとこ)のうち“お姉さん「滝タミ」”は、一葉よりも二歳年上だったことも考えれば、一葉と廉太郎は、姉弟のように明治の時代を生きたと言ってもよいのではないでしょうか。

 そんな一葉と廉太郎を想いながらの、私の本郷街歩きは、いずれ。

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