『明治・東京時計塔記』――本郷大横丁の時計台は…
『明治・東京時計塔記』(平野光雄) という本があることを知りました。装幀は木村荘八。
初版は、1958(昭和33)/青蛙房。改訂増補版は、1968(昭和43)/明啓社。現在絶版で、古書ではかなり高価のようです。
http://www.kodokei.com/dt_014_4.html
木村荘八の装幀というのも、一見してみたい理由ですが、別の理由があります。ずっと、三島霜川の「昔の女」〔『中央公論』明治41年12月〕の“小さな時計台の下から大横町に曲がって”の一節にある《時計台》が気になっているのです。残念なことに、この本、近隣の公立図書館にはありません・・・。
霜川の「昔の女」の一節を、本郷街歩きの参考も含めて少し長めに引用しておきます。(表記は、適宜変更)
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“間もなく路は明るくなって千駄木町になる。それから一家の冬仕度について考えたり、頭の底の動揺や不安について考えたり、書こうと思う題材について考えたりして、いつか高等学校の坡(どて)のところまで来た。また墓場と寺がある……、フト、ぐうたらなる生活状態の危険を思って慄然(ぞっ)とした。
坡について曲る。少し行くと追分の通りだ。都会の響がガヤガヤと耳に響いて、卒倒でもしそうな心持ちになる……なんだか気がワクワクして、やたらと人に突き当たりそうだ。板橋通いのがたくり馬車が辻を曲りかけてけたたましく鈴(べる)を鳴らしていた。俥、荷車、荷馬車、それが三方から集って来て、ここでちょっと停滞する。由三はこの関門を通り抜けて、森川町から本郷通りへブラリブラリ進む。雑踏(ひとごみ)の中をちょっと古本屋の前に立ち停まったり、小間物店や呉服店をチラと覗いて見たりして、毎(いつも)のように日影町から春木町に出る。二三軒雑誌を素見(ひや)かして、中央会堂の少し先から本郷座の方に曲った。なんということはなかったがウソウソと本郷座の広っ場に入って見た。閉場中だ。がもう三四日で開くということで、立看板も出ておれば、木戸のところに来る××日開場というビラも出ていた。茶屋の前にはチラチラ光っている俥が十二三台も駢(なら)んで何んとなく景気づいていた。由三は何かこう別天地の空気にでも触れたような感じがして、ちょっと気が浮わついた。またウソウソと引き返して電車路(みち)に出る。ヤンワリと風が吹き出した。埃が軽く立つ。
どこという的(あて)もなく歩いて見る気で、小さな時計台の下から大横町に曲がって、フト思い出して、通りから引っ込んだ肉屋で肉を購った。そしてその通りを真っ直ぐに壱岐殿坂を下って砲兵工廠の傍に出た。明るい空に渦巻き登る煤煙、スクスク立つ煙突、トタン屋根の列車式の工場、黒ずんだ赤煉瓦の建物、埃に塗された白亜、破れた硝子窓、そして時々耳をつんざくように起る破壊的の大響音……由三はその音その物象に、一種いわれぬ不愉快と威圧を感じながら、崩れかかった長い長い土塀に沿って小石川の方に歩いた。真砂町、田町、川勝前から柳町にかけて、その通りには古道具屋が多い。”
〔追記〕
現在の本郷大横丁通りについては;
http://www.ba.tyg.jp/~kitada/hongo-oyokocho00.html


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