日向康『田中正造を追う』
日向康『田中正造を追う――その“生”と周辺』(2003.12)
多少高価故に購入を思いとどまること、幾たび。買うべし、読むべしとの、どこからともなく聞こえてきた声に背を押されて思い切りました。いつもいろんな回り道をしながら田中正造と宮沢賢治に帰ってくるのです。
日向さんの代表作『果てなき旅』という正造伝さえ読んでないのに、この評伝余録ともいうべきしかし内容は伽藍のようにがっしりした書を拾い読みしながら、正造に向けて見据えられている眼にこわさを――それはそのまま正造自身のこわさでもあるはずですが――感じています。
なお、田中正造の後半生に関して気になっていることをこの機会に書いておきます。高崎宗司『津田仙評伝』に、“1903年6月13日、仙は田中正造の面会要請にこたえて大阪行きを取りやめ、静養を兼ねて鎌倉に来るよう招待する手紙を出した。田中は泊まりがけでやってきた。翌朝別れに臨んで「これをと自分の兵児帯を解きて先生に与えられた。見るに、白縮緬にて矢島楫子よりもらいしものなりという」(山鹿旗之助)。仙の好意に対する感謝の印であったことだろう。”とあって、正造が仙の公害反対運動へに対する感謝として鎌倉を訪れたと書かれています。
が、そうなのでしょうか。当時、津田仙は65歳、田中正造は61歳。国が公害の傷痕谷中村をまるごと水没しようと虎視眈々と計画を進めているこの時期に、正造は感謝の意を表するためにわざわざ鎌倉に仙を――仙の方は一線を退いていましたが――訪ねたのでしょうか。公害被害地の復興に農業専門家としての仙に質すことがあったのではないでしょうか。この当時の正造の軌跡をもう少し細かに追ってみたいと思っています。


最近のコメント