無料ブログはココログ

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月30日 (日)

中也と金沢(4)――杉浦町14番地

 この日記に、中原中也と金沢のつながりについて何度か落書きをしましたが、中也と金沢のつながりにはさらに遡る一つの事実があったようです。

 きのう紹介した中也の弟・中原思郎の『兄中原中也と祖先たち』によると、中也の父母夫妻(謙助・フク/当時謙助は柏村姓なので柏村夫妻)は、謙助の軍医としての金沢勤務によって“2度”金沢に住んだことがあるというのです。

 一度目は、中也が生まれる前年から直前にかけての1906(明39)年2月から翌1907(明40)年3月まで(中也の出生は、1907年4月29日)。
 二度目は、中也の5、6歳にあたる1912(明45)年9月から1914(大3)年3月までの1年半。

 二度目の居住地は先に書いたように、犀川左岸の地〔金沢市野田寺町5丁目3番地(現:寺町5-2-48)〕ですが、5年前の金沢勤務の折は犀川右岸の〔金沢市杉浦町14番地〕だというのです。中也が生を授かったのは、この金沢の地だった――生誕地は山口県山口市ですが、――ことも、覚えておいてよいかと思います。

 金沢市の「杉浦町14番地」を、新旧の地図上(杉浦町は旧番地そのままではなかろうか)に、実際の現地に、訪ねるのはこれからの課題です。といってもこの辺りは、三宅雪嶺の生誕地を探してうろうろ歩いた場所なのですが。

〔参考まで〕
中也と金沢(1~3)ほか
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080823
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080513
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070514
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070314
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070313
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070310

2008年11月29日 (土)

中原思郎『兄中原中也と祖先たち』

 偶然立ち寄った高岡の古書店で中原思郎『兄中原中也と祖先たち』を見つけ、我が目を疑いました。中也のことはもちろん、中也の父・謙助についての基礎資料でもあるのですが、netで古書を買うことに抵抗感のある私にとっては、近くの公立図書館にもなく入手を断念していたもの。

 霜川と同年の生まれの中原謙助と柴崎芳太郎の生きた軌跡を追おうと考えている私には、貴重な情報がたくさん書かれているようで、いっしょに買った単行本の『私の上に降る雪は――わが子中原中也を語る』(中原フク述・村上護編)とともにゆっくり読みたいと思っています。

 〔追記〕
 中原謙助   1876.06.19--1928.05.16
 三島霜川   1876.07.30--1934.03.07
 柴崎芳太郎 1876.08.13--1938.01.29

2008年11月26日 (水)

「生物季節観測」

 きのう、金沢気象台ではイチョウの落葉を観測したという話題を小耳にはさみました。我が富山はどうなのでしょう。

 ところで、サクラの開花だけでなく、イチョウの紅葉、落葉もその地方の気象台や測候所がおこなっていることを、はずかしいことに今日で知りませんでした。こうした植物の状態や動物の行動の季節による変化の観測を「生物季節観測」というのだそうです。この生物季節観測は、黄葉や開花など植物季節観測の12種目(16現象)と、アブラゼミの初鳴きなど動物季節観測の11種目(11現象)が対象になっているとのこと。
 「紅(黄)葉」と「落葉」が観測されるのは、カエデとイチョウの2種目。「紅(黄)葉」は“その葉の色が大部分紅(黄)色系統の色に変り、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日を、その植物の紅(黄)葉日とします”、「落葉」は“対象とする落葉樹の葉の約80%が落葉した最初の日を、その落葉樹の落葉日とします”という観測方法があるのだそうです。

2008年11月25日 (火)

三島霜川関連メモ(1)~(4)

旧日記の三島霜川関連メモを、集めてみました。

■三島霜川関連メモ (1)

*霜川の名前が登場している日記の索引だと思ってください。内容は、ほんとに断片的なものばかりです。

2004年 12月 15日 〔三島霜川・源氏鶏太・堀田善衞〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20041215
2004年 12月 16日 〔【三島霜川選集】〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20041216
2005年 01月 08日 〔【明治の文学/全25巻】〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050108
2005年 01月 22日 〔「埋れ井戸」と「たけくらべ」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050122
2005年 01月 23日 〔水上勉「三島霜川一家と私」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050123
2005年 01月 31日 〔水上勉「三島霜川一家と私」2〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050131
2005年 02月 02日 〔地名・布佐/松岡国男・独歩・霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050202
2005年 03月 07日 〔霜川の命日/辞世の句/水守亀之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050307
2005年 03月 08日 〔霜川と一葉の「法真寺」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050308
2005年 03月 10日 〔『はんけち』-不忍池湖畔の蓮見橋〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050310
2005年 03月 19日 〔霜川・秋声・鏡花/一葉〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050319
2005年 03月 21日 〔明治文学と横山源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050321
2005年 03月 29日 〔“君が情の仮寐の床”〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050329
2005年 04月 17日 〔三島霜川と横山源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050417
2005年 05月 08日 〔霜川と「済生学舎」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050508
2005年 09月 04日 〔霜川と秋声/小石川表町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050904

■三島霜川関連メモ (2)

2005年 09月 19日 〔霜川の故地を訪ねて(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050919
2005年 09月 25日 〔When were they born?〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050925
2005年 10月 31日 〔本郷台の空橋(からはし)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051031
2005年 12月 05日 〔霜川と露風(1)-ふたりの出会い〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051205
2005年 12月 06日 〔霜川と露風(2)-「露風全集」より〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20051206
2006年 01月 01日 〔【6】の年-霜川の1876・1906〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060101
2006年 01月 17日 〔foujitaさんの「日用帳」-『役者芸風記』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060117
2006年 01月 19日 〔三島霜川の明治四十一年〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060119
2006年 01月 20日 〔霜川と露風(3)-「三木露風年譜」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060120
2006年 01月 21日 〔霜川と露風(4)-木戸邸内の番小屋?〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060121
2006年 01月 23日 〔霜川と露風(5)-駒込動坂町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060123
2006年 01月 29日 〔柴崎芳太郎-霜川と同年生まれの〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060129
2006年 03月 02日 〔霜川の動坂(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060302
2006年 03月 04日 〔霜川の動坂(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060304
2006年 03月 08日 〔霜川の動坂(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060308
2006年 03月 16日 〔神楽坂の霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060316

■三島霜川関連メモ(3)

2006年 03月 23日 〔藤澤清造――〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060323
2006年 03月 29日 〔『どうで死ぬ身の一踊り』――藤澤清造(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060329
2006年 04月 29日 〔秋声宅の露風〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060429
2006年 05月 01日 〔霜川・秋声・涼葉(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060501
2006年 05月 10日 〔霜川から本郷弓町〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060510
2006年 05月 23日 〔霜川・秋声・涼葉(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060523
2006年 06月 27日 〔柿木横町の薙城館(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060627
2006年 07月 31日 〔霜川・秋声・涼葉(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060731
2006年 08月 15日 〔『徳田秋声全集』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060815
2006年 09月 26日 〔“九月というに袷一枚で(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060926
2006年 09月 27日 〔“九月というに袷一枚で(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060927
2006年 10月 01日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061001
2006年 10月 02日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061002
2006年 10月 03日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(3)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061003
2006年 10月 04日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(4)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061004
2006年 10月 05日 〔“猫の家”の前を歩く霜川(5)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061005

■三島霜川関連メモ(4)

2006年 10月 18日 〔鱒二の霜川追悼文〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061018
2006年 10月 26日 〔再び「霜川・秋声・涼葉」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061026
2006年 10月 27日 〔霜川の同時代人〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061027
2006年 11月 03日 〔『黴』私注――書斎の窓明かりを慕うて〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061103
2006年 11月 04日 〔鱒二の霜川追悼文(2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061104
2006年 12月 13日 〔『黴』私注――戦争小説などに筆を染め(2-2)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061213
2006年 12月 17日 〔高峰という蘭方医(秋声の周辺)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061217
2007年 01月 01日 〔《光含》〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070101
2007年 01月 05日 〔《1907年》〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070105
2007年 04月 18日 〔独歩と源之助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070418
2007年 04月 21日 〔三島霜川年譜〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070421
2007年 04月 23日 〔霜川年譜雑メモ(1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070423
2007年 04月 28日 〔本郷弓町メモ〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070428
2007年 05月 04日 〔中也の父・謙助〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070504
2007年 05月 17日 〔些細な諸事実を「書くこと」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070517
2007年 11月 22日 〔霜川の「解剖室」〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071122
2007年 12月 29日 〔掲示板タイトル変更〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20071229

三島霜川関連メモ(5)

 近日中に、「三島霜川関連メモ(5)」として、下記をアップする予定です。

2008年 01月 20日 〔霜川の民声新報時代:メモ1〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080120
2008年 01月 21日 〔霜川の民声新報時代:メモ2〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080121
2008年 01月 22日 〔霜川の民声新報時代:メモ3〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080122
2008年 01月 23日 〔霜川の民声新報時代:メモ4〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080123
2008年 01月 29日 〔ふたりの石川人、きょう死す〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080129
2008年 02月 17日 〔『わが祖父 川島忠之助の生涯』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080217
2008年 04月 09日 〔霜川、醒雪。啄木、秋声〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080409
2008年 04月 21日 〔『徳田秋聲の文學』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080421
2008年 05月 27日 〔二人の父親像〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080527
2008年 08月 25日 〔「漱石書簡」の三島霜川〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080825
2008年 08月 26日 〔霜川と漱石をめぐる余談〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080826
2008年 09月 10日 〔悠々忌〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080910
2008年 09月 18日 〔飯田青涼の『女の夢』〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080918
2008年 11月 01日 〔北陸線、高岡まで延伸(1898.11.1)〕
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20081101

※「三島霜川関連メモ」
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050330

〔追記〕
《めぐり逢うことばたち(三島霜川関連メモ)》 が、下記ページにリンクされていました。
http://www1.tcnet.ne.jp/m3387/misima.HTM

2008年11月24日 (月)

堀江敏幸『未見坂』

 堀江敏幸『未見坂』読了。

 本にカバーをかけますか、と問われて、一瞬ためらったものの断れないものを押しつけらるように「ええ」と言ってしまって、この本は、この本を買った書店の包装紙にくるまれたままである。文庫本ならいざ知らず、ハードカヴァーの単行本にそれは不要だろうに・・・。

 おかげで書店で一度目にした本の装丁は残像として心を疼(うず)かせてくれている。この物語で尾名川沿いの河岸段丘――それは雪沼から流れ出た潜流によってさまざまに紡ぎあげられる生活がおのずと形成しているこころの襞――に穏やかに描かれたいくつもの「母と子」の生活像のように。

2008年11月23日 (日)

ケヤキの紅葉は色とりどり!?

 先日(11/5)、puccini2006さんのブログ「アイガング」に、ケヤキの色づきについて、次のように書きこみさせていただきました。

 “この時期、街路樹のケヤキの紅葉(黄葉)はきれいですね。富山市内の街路樹はまだ紅葉は先ですが、わずかな差で標高20メートル地帯のケヤキは緑、黄、紅の三色混合の美しい並木となっていて、車を走らせていてもそれぞれの紅葉周期?を持つ木々の個性にも感激しています。”
 http://verdi.exblog.jp/9572053

 ところで、今日、「ケヤキの紅葉は色とりどり――赤か黄色か橙色か、遺伝的要因が関与――」という報告をnet上に見つけました。
 “紅葉といえば、イチョウの黄色、モミジの赤色がよく知られていますが、ケヤキの紅葉色は個体ごとに異なり、赤、橙色、黄色とバラエティーに富んでおり、どの色になるかは遺伝的な影響が大きいことが明らかになりました。”
 “一般に紅葉色は樹種ごとに概ね一定であるのに対して、ケヤキの紅葉色は個体によって異なり、赤、橙色から黄色にかけての様々な色を示すことが明らかになりました。また、同じ個体であればどこに植栽しても概ね同じような色になり、更に異なる年次間での比較から、同じ個体であれば概ね同じような色に紅葉することが明らかになり、ケヤキの紅葉色は遺伝的要因によって決められていることが明らかになりました。”
 http://ftbc.job.affrc.go.jp/html/press/20061026.pdf

 「個体差」という結論になるほど、と思ったのですが、数日前、一本のケヤキが下枝は緑、中枝は黄色、中枝から頂の上枝にかけて赤く色づいているみごとなケヤキを見たことも、付け加えておきたいと思います。

父の一周忌を終える

 父の一周忌の法要を無事終える。ただまだ私の中でいろなことが未整理のままである。

 きのうは冨士男忌(野口冨士男の命日)、そしてきょうは一葉忌。父の命日にあたる25日が三島由紀夫の忌日であり、三島は父と同じ1925(大14)年の生まれであることを、先日の松本徹さん(秋声研究家、三島由起夫記念館館長)の講演で偶然知ることができました。

 堀江敏幸さんの新刊『未見坂』を書店でみつけ、迷わず購入。“『雪沼とその周辺』に連なる連作短篇集”という帯の言葉に惹かれる前に、装丁がすっとこころの襞にはいってきたというのが、そのときの思い。

2008年11月20日 (木)

初雪。

きのう、初雪。例年より9日早いという。

けさは、夜半から断続的に降った雪が一面を白くしました。6時に起き、車のタイヤをスタッドレスに替えようとしたが、今春ガソリンスタンドでタイヤ交換してもらったホイールナットがかたくて人力でははずれない。結局は、タイヤを積んでスタンドへ。
タイヤぐらいは自分で替えないと大地を走ることが実感できなくなってしまいそうだ。

2008年11月17日 (月)

岡崎藩邸跡の「本郷森川町」

 一昨日紹介した“五差路”は、「本郷森川町」というタイトルの木村伊兵衛の写真で有名な!――私はまったく知らなかったのですが――五差路でした〔1953.4.7撮影〕。
(↓のページでその写真を見ることができます。)
 http://blogs.yahoo.co.jp/hanakoparis/30761181.html

 木村伊兵衛の写真のことは知りませんでしたが、本郷に姿を消してしまった映世神社という名の神社があることは知っていました。ただ、五差路のところを偶然通りっかったときは、そこがかつての映世神社のあった場所だとは知る由もなかったのです。

 『ぶんきょうの町名由来』という文京区教育委員会が1981年に発行した手引きに、映世神社について少しまとまった記述があったので写しておきます。

 “森川町の中心、旧一番地に映世神社があったが戦後廃社となった。祭神は旧岡﨑藩主の祖本多平八郎忠勝を祀り、祭日は旧本多子爵の参拝があり、衣冠束帯して神馬をひき、一同甲冑を着て、陣太鼓の音勇ましく、古式の行列が行われた。社前を宮前、社後を宮裏といわれた。”

 徳川四天王といわれた本多平八郎忠勝は“映世公”とも呼ばれたらしく、死後、映世大明神として祀られたようなのです。(「映世」がどんな意味で、なぜ本多平八郎が「映世」と呼ばれたのか、手元の資料では不明です。

 そう、今、本郷6丁目という行政区画になっている旧「森川町」は、岡崎本多家の上屋敷跡に、明治以降開けた町なのです。
 なお、徳田秋声の旧宅の住所〔現:本郷6丁目6-9〕が、「森川町一番地南堺裏」とも書かれたのは、まさに秋声宅が本多家の旧上屋敷の敷地の南境にあり、本郷菊坂町、菊坂台町に接した場所にあったからなのでした。(「南堺」には、かつて大きな榎が2本あったという。)
 http://mods.mods.jp/blog/archives/images/tk289_en.html
 http://mods.mods.jp/blog/archives/images/tk289_mn.html

2008年11月15日 (土)

秋声の墓前祭

 徳田家の菩提寺・静明寺(金沢市材木町)で、秋声の墓前祭。その後、場所を徳田秋聲記念館に移して松本徹さんの講演会。

 秋声が亡くなったのが1943(昭18)年11月18日のことですから、今年は65回忌になります。そして徳田家の菩提寺に秋声の墓碑が建立され遺骨の分骨が行われたのが1982(昭57)年のことで、その年から行われた墓前祭は今年で26回目とのこと。私は今年3回目の出席をさせてもらったことになります。ケヤキとカエデが色づいた境内はしぐれたり肌寒い日初冬の雰囲気の日が多いのでしょうが、きょうは薄曇りながら暖かい晩秋の一日でした。そう言えば今年のカエデはまだ紅葉していないようでした。

 なお、墓前祭の始まる前に徳田家の墓にお参りさせていただいたのですが、今年は五基ある墓の周りに竹垣が巡らされ整地もされていてすがすがしい気持ちでお参りさせていただきました。

 感銘深く聴いた松本徹さんの講演については別の機会に。

 そうそう、講演会が終った後に蛮勇をふるって現在の徳田家のあるじ、徳田章子さんに昨日お宅の周囲をうろうろさせていただいた失礼をお詫びすることができました。正確に言うと、気持はお詫びだったのですが、単なるご報告に終わってしまいましたが・・・。

 〔追記〕
 静明寺にあると聞いていた安達幸之助の墓(遺髪が埋められているとのこと)も、徳田家の墓と近い所にあることを知ることができました。
 安達幸之助については、旧日記に少し書いていました。
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20061217
 安達幸之助が大村益次郎と京都で襲撃された事件については;
 http://blog.livedoor.jp/zuihitu/archives/50824191.html

2008年11月14日 (金)

森川町の秋声旧宅

 詳細はあらためて報告する機会があるかもしれませんが、東京出張のあいま?に野口冨士男さんの『私のなかの東京――わが文学散歩』を片手に、小石川から本郷にかけて歩きました。小石川で「青木・幸田」の表札を見たのは、あの「青木・幸田」宅だったのでしょうか。この小石川散策のことは、あらためて書くことにして、以下、本郷6丁目歩きのメモをそのまま残しておきます。

   ━━━━━━……‥‥・・・・・・・・‥‥……━━━━━

 空橋(*1)を渡り今来た道のマテバシイの並木を上からながめて、一葉の日記の一節(*3)を思い出した直後に、秋声の旧宅(遺宅)の所在地を尋ねようと歩をとめた旧森川町の煙草屋然としたお店の窓口に「一葉日記絵葉書」を見つけ、合わせて「樋口一葉恋すごろく」を買えた偶然に感謝しつつ、“二十三日は一葉忌ですからよろしかったらお寄りください”と声をかけていただけたのは、さらにうれしいことでした。
 “ここをもう少し行ったところに五差路(*2)がありますから、そこを左に曲がって・・・”と、ていねいに秋声宅への道を教えていただいて、そこに写真でなんども見ていた篠竹――犀星が送ったという業平竹――を板塀越しにのぞかせた秋声の家の細い小路に迷わずに入り込めたのでした。
 実は明日、秋声の墓前祭があり現在のこの徳田家のご主人徳田章子さんのお顔を金沢の静明寺で拝見することになるだろうことを思いながら、名残惜しさを後に、本郷三丁目のルノアールでちょっと休んで、本郷大横丁通りをちょっと歩き、ぐうぜん大クスノキを夕闇のなかに仰いで、丸ノ内線を東京駅に急ぎ上越新幹線に乗り込んだのでした。

 *1=空橋については;
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=200510
 *2=この五差路に「宮前青果店」があったのですが、この“宮前”がかつてここにあった映世神社の名をわずかにとどめるものであったことを帰宅してから、「ぶんきょうの史跡めぐり」で知りました。

 *3=一葉の日記(明治24年8月8日)                                            “空橋のした過る程、若き男の、書生などにやあらん、打むれて、をばしば(らんかん)に依りかかりてみおろし居たるが、何事にかあらんひそやかにいひて、笑ひなどす。しらずがほして猶いそぎにいそげば、ひとしく手を打なして、ぼうざくにも、『こちむき給へ』などいふ。何の心にていふにや、書のかたはしをもよむ人のしわざかとおもへば、あやしくも成りぬ。”

2008年11月 9日 (日)

感作されるおそれ

擦傷(すりきず)の炎症にテラマイシン軟膏という薬を勧められて、説明書きを読んでいたらこんな箇所がありました。

 “感作されるおそれがあるので、観察を十分に行い感作されたことを示す兆候(そう痒、発赤、腫脹、丘疹、小水疱等)があらわれた場合には使用を中止する。”
http://www.sizen.co.jp/medical/skin/terramycin.html

 「感作される」・・・初めて目にした言葉です。「感作」とはどんな意味なのでしょう。

 「感作(かんさ)」=「生体を抗原に対して感じやすい状態にすること。」、「アレルギー反応を起こす原因物質に対して免疫機能により抗体がつくられ、それが記憶されている状態。感作されたあとに再度原因物質(抗原)と接触するとアレルギー反応が起こる。」というnet上の説明にも、ストンと腑に落ちるものがありません。

 一般的なくすりの説明には、もう少しわかりやすい説明がつけられないのでしょうか。

2008年11月 8日 (土)

対照軸から浮かぶ賢治像

 最近買った賢治本。読んだもの、途中のもの、これから読むものの順に並べました。

 『二人の銀河鉄道――嘉内と賢治』(江宮隆之/河出書房新社/2008.2)
 『詩物語 啄木と賢治』(関厚夫/扶桑社/2008.9 )
 『宮沢賢治とベートーヴェン――病と恋』(多田幸正/洋々社/2008.10)
  

 どれも賢治と関わった人物――かならずしも“直接”関わったということではない――を、対照軸に賢治を描き、論じているところが、興味をひきます。

2008年11月 7日 (金)

多事争論の間に在りて存するもの

 「自由の気風はただ多事争論の間に在りて存するものと知る可し」

《多事争論》という福沢諭吉のことばを蘇らせたのは丸山真男なのかもしれないが、このことばをテレビという巨大メディアの真っただ中で見事につかってみせてくれたのは筑紫哲也さんだった。
 いつの放送だったか忘れたが「NEWS-23」で夏休みの読書の勧めとして(?)、デスクの上に丸山真男集を並べておられたのを思い出しました。

 滝廉太郎を追っかけていて筑紫哲也の名前を発見して驚いたことも今、陽水のテーマ曲とともに思い出しました。

 意識のある間に、初のアメリカ黒人大統領の登場を耳にされてたのでしょうか。“少数であることを恐れないこと”を主張した筑紫さんとオバマ氏との対論も見られたはずなのになぁと思うと寂しい。

 ゆっくりお休みください。

 

2008年11月 6日 (木)

ジャン・フルネさん

 ジャン・フルネさんが亡くなられたという。

 私の心のなかにいる数少ない指揮者のうちの一人。

 *ジャン・フルネ(Jean Fournet, 1913.04.14~2008.11.03)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%8D
 http://www.tmso.or.jp/orchestra/fournet.html

2008年11月 4日 (火)

『新井奥邃を読みとく』

 2日前の拙日記に“中村(秋三郎弁護士)が新井奥邃の門下である”と書いたのですが、田中正造関連文献でわりとよく目にする新井奥邃(あらい・おうすい)をなんとなく知ったような気になっているだけで、新井奥邃について中村秋三郎以上に何ほどのことを知っているわけではありません。
 要領のいい紹介が↓のページにあるので、とりあえずはそこを見ていただくとして、私は『知られざるいのちの思想家 新井奥邃を読みとく』(監修:新井奥邃先生記念会/春風社/2000.1)という本を注文したのですが、さっそくと届いてしまいました!。
 すぐには読めないので、まずは拾い読みでも・・・。

 新井奥邃について;
 http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/arai.htm

 ※上記『新井奥邃を読みとく』や『新井奥邃著作集』全10巻を出している「春風社」のサイトから;
 http://www.shumpu.com/ohsui/index.html

 *新井奥邃  弘化3年5月5日〔1846.5.29〕~1922.06.16

2008年11月 3日 (月)

11月3日が誕生日?

 11月3日の「文化の日」が、かつて「天長節」と呼ばれた“明治天皇の誕生日”だったということは、ご存じの方が多いと思います。が、実は、後に明治天皇となる孝明天皇の第二皇子・祐宮(さちのみや)が生まれた日は、出生当時の暦(太陰太陽暦の天保壬寅暦)では、〔嘉永五年九月二十二日〕であり、〔11月3日〕ではない、のです。
 そう、11月3日の諸祝日〔明治期の天長節→昭和前期の明治節→今日の文化の日〕は、明治5年グレゴリウス暦が採用されたのちに、明治天皇の誕生の日「嘉永五年九月二十二日」をグレゴリウス暦に換算した「1852年11月3日」に由来するのです。
(なお、グレゴリウス暦が採用される1872(明治5)年までは、天長節は9月22日。新暦採用後、11月3日に変更。)
 ※参照 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=200312

 グレゴリウス暦採用後も、旧暦の誕生日の日付を自分の誕生日としつづけた人が多かったと聞いていますが、旧暦上の誕生日をわざわざ?新暦に換算して世に知らしめた明治天皇睦仁は、開明的!だったのでしょうか。
 ところで、新暦採用前の時代に、旧暦11月3日に生まれた人では、拙日記によく登場するところで田中正造、高峰讓吉の両雄がいますが、はて彼らは自分の誕生日を何月何日だと考えていたのでしょう。

  田中正造  天保12年11月3日〔1841.12.15〕~1913.09.04
  高峰讓吉  嘉永7年11月3日〔1854.12.22〕~1922.07.22

イヌホオズキ

 隣家との境に雨水を流す浅い側溝がある。ここに、白い小さな5弁花とそれに不似合いな黒い丸い実をいくつも、角ばった黒い茎につけた見慣れない野草を見つけ、無造作に移し替えておいたのが一週間前のこと。花期は終わりに近いようながらも、今も雑草のこととて元気に――黒い茎の枝分かれが不思議な寂寥を感じさせるのですが――花実をつけている。

 ようやく図鑑を手にしてこの花を探したところが、イヌホオズキと判明。学名は〔Solanum nigrum〕、黒いナスビという意味であろうか。たしかに花の雰囲気は、ナスビ〔Solanum melongena〕とそっくりであるが、 有毒植物。どこにでもはえている雑草――日本には古い時代に入ってきた史前帰化植物――とのことで、実だけでなく全草に毒があるそうですが、生薬名:竜葵(りゅうき)という薬草でもあるようです。 http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/sympetalae/solanaceae/inuhoozuki/inuhouzuki.htm
 http://kitola.hp.infoseek.co.jp/dokusou/ihohzuki.html
 http://www48.tok2.com/home/mizubasyou/113inuhoozuki.htm#inuhoozuki

〔追記〕
 〔Solanum/ナス属〕は、語源不明との説もあるが、「ラテン古名の「solamen(安静)」が語源。この属の植物に鎮痛作用を持つものがあることから。」との説明をnet上に見つけました。

2008年11月 2日 (日)

吉村昭『消えた鼓動』、城山三郎『辛酸』

 買いだめしてあった古本から吉村昭『消えた鼓動――心臓移植を追って』(ちくま文庫/1986.6〔単行本1971.4〕、城山三郎 『辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件』(中公文庫/1976.1)を読む。両書とも1970年代の本。そこで突きつけられている問題は30年たった今も、変わっていない。

 谷中村の「土地収用補償金額裁決不服訴訟」に、正造の死後も関わった弁護士・中村秋三郎(1878~1922)のことをもっと知りたいと思う。が、net上には、中村が新井奥邃の門下であること以外には特段の情報がない。

2008年11月 1日 (土)

北陸線、高岡まで延伸(1898.11.1)

 今日は、110年前の11月1日、西から伸びてきた北陸線が金沢から高岡まで延長開業された日。

 1869(明2)に駐日イギリス公使のパークスが計画した計画案に始まったという北陸本線の敷設は、次のような経緯をたどることになります。
 北陸の明治期の作家の上京や東京―北陸の往反を追うために必要なので、まず米原-直江津間の北陸本線の開業の沿革を↓のサイトによって整理してみました。
 http://moon.otto.to/~suwa_h/HIMISEN/HONSEN.html )

 北陸本線は米原から建設を初め、
  1882(明治15)年3月10日 米原-金ヶ崎駅(現在の敦賀港駅)間を開業。
  1896(明治29)年7月15日 敦賀-福井間延伸開業。
  1897(明治30)年9月20日 福井-小松間延伸開業。
  1898(明治31)年4月1日 小松-金沢間延伸開業。
  1898(明治31)年11月1日 金沢~高岡間延伸開業。
  1899(明治32)年3月20日 高岡-富山間延伸開業。
  1908(明治41)年11月16日 富山-魚津間延伸開業。
  1910(明治43)年4月16日 魚津-泊間延伸開業。
  1911(明治44)年7月1日 信越本線として直江津-名立間開業。
  1912(明治45)年10月15日 泊-青海間延伸開業。
  1912(明治45)年12月16日 信越本線名立-糸魚川間延伸開業。
  1913(大正2)年 4月1日 青海-糸魚川間を開業し米原-直江津間全通。

※北陸線が、米原で東海道線に接続されたのが〔1900(明33)年〕、信越線が開通し――直江津経由(北陸線~信越線)――米原を経由せずに東京(上野)まで行けるようになったのは〔1913(大2)年〕のこと。

〔参照〕

(秋声の上京:1992〔明25〕.3)
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20050504
(霜川の上京:1994〔明27〕.9)
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20060926
(犀星の上京:1910〔明43〕.5)
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&start=21&log=200805&maxcount=33

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

最近のトラックバック

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31