中也と金沢(4)――杉浦町14番地
この日記に、中原中也と金沢のつながりについて何度か落書きをしましたが、中也と金沢のつながりにはさらに遡る一つの事実があったようです。
きのう紹介した中也の弟・中原思郎の『兄中原中也と祖先たち』によると、中也の父母夫妻(謙助・フク/当時謙助は柏村姓なので柏村夫妻)は、謙助の軍医としての金沢勤務によって“2度”金沢に住んだことがあるというのです。
一度目は、中也が生まれる前年から直前にかけての1906(明39)年2月から翌1907(明40)年3月まで(中也の出生は、1907年4月29日)。
二度目は、中也の5、6歳にあたる1912(明45)年9月から1914(大3)年3月までの1年半。
二度目の居住地は先に書いたように、犀川左岸の地〔金沢市野田寺町5丁目3番地(現:寺町5-2-48)〕ですが、5年前の金沢勤務の折は犀川右岸の〔金沢市杉浦町14番地〕だというのです。中也が生を授かったのは、この金沢の地だった――生誕地は山口県山口市ですが、――ことも、覚えておいてよいかと思います。
金沢市の「杉浦町14番地」を、新旧の地図上(杉浦町は旧番地そのままではなかろうか)に、実際の現地に、訪ねるのはこれからの課題です。といってもこの辺りは、三宅雪嶺の生誕地を探してうろうろ歩いた場所なのですが。
〔参考まで〕
中也と金沢(1~3)ほか
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080823
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20080513
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070514
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070314
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070313
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&log=20070310


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