無料ブログはココログ

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月31日 (金)

『街路樹 葉っぱの詩(うた)』『わが心の小説家』

 先日の書き込みを機縁に、立ち読みはなんどもしつつ、ちょっと高価のため買い控えていた群馬さんの『街路樹 葉っぱの詩(うた)』(絵・文:群馬直美/世界文化社/2007.11)を買ってきました。土曜日いきつけの喫茶店でゆっくりページを繰るのが、愉しみです。

 あまり期待せずに読みだした吉村昭さんの『わが心の小説家』(平凡社新書/1995.5)――古書店でほかに買う本がなく仕方なく?買ったのですが――、とりわけ川端康成や女性作家の強烈な個性の章を、感銘深く読了。吉村昭という作家をさらに知りたくなった本でもありました。

 明日から11月。この霜月は、秋声の墓前祭と父の一周忌。

2008年10月28日 (火)

「街路樹マップ」

 ダスキンが発行している「喜びのタネまき新聞」という小広報誌がある。そこに群馬直美さんが「街路樹の詩」というのを連載を始められた。その第2回は「アオギリ並木」。“中国の伝説上の霊鳥、鳳凰が止まるという格調高いアオギリ。まっすぐな幹、緑色のなめらかな樹皮と桐に似た葉っぱが目印で、アオニョロリとも呼ばれています。”と、アオギリの紹介があって「街路樹ひょうたん島」という本文にはいっていくのですが、そこで最初に目にとまったのが「TOKYO街路樹マップ」。

 この「TOKYO街路樹マップ」には、都内の道路で街路樹が植えられている場所が、樹木の種類ごとに色分け表示されているようなのです。ところで、この旧日記に“できればT(=富山)市内の「街路樹マップ」をつくれたらなぁと思っています。この路はケヤキだとかアオギリだとか、この路はここからここまでがハナミズキだとか、少しずつ地図に書き込んでいくのです。今年実行に移してみようかなどと・・・。”と書いたのが、3年前。けっきょく、情けないことに実行されないままになっています。

 瑣事に気をくさらせたりしている暇があったら、身近なところから一歩を踏み出してみようか。

2008年10月26日 (日)

『評伝 技師・青山士の生涯――われ川と共に生き、川と共に死す』

 『評伝 技師・青山士の生涯――われ川と共に生き、川と共に死す』(高崎哲郎/講談社/1994.5)

 通勤車中に読み継いできたのですが、後半を一気に読了。
 その感想を書く余裕もないのですが、青山士(あおやま・あきら)については、この日記に4年前に少し書いていました。今あらためて読みなおしてみると、この高崎さんの本も読むべき基本文献として自分であげてるのですがまったく覚えていませんでした。(当時の日記を↓、なつかしくリンク。〔2004.02.05と02.06〕)
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&start=31&log=200402&maxcount=36
 http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=325457&start=21&log=200402&maxcount=36

 青山士の思想と生涯については、
 http://www.ippusai.com/hp_home/sunset/aoyama.htm

 青山士についての資料については、土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブスの「青山士」の項を参照ください。
 http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/aoyama/index.html

2008年10月25日 (土)

「タルク」「タルコン」・・・

 「これはタルク製品です」という表記のあるプラスチック様の容器を処分しようとして、その分別に迷ってしまいました。タルクとはプラスチックなのか、否か・・・。きょう(土曜日)は「プラスチック製容器包装」ゴミの収集日だったのです。

 net上の「タルク」「タルコン」情報を、正確に整理して記述する自信がないので、ここでは結論は保留にしておきます。そもそも「プラスチック」とは何か、このあたりも含めて自分なりのまとめをしたいと考えています。いずれ。

2008年10月21日 (火)

賢治と行き違った童話作家・小野浩

 今日は、宮沢賢治の命日からちょうど一ヶ月後になるのですが、賢治の死から一ヶ月後の1933年の10月21日に亡くなった童話作家がいます。ちょうどこの一ヶ月の違いが象徴するように、賢治とほ んの近いところに近づきながら生前顔を合わすことはなかった作家と賢治の関係は次のようなものでした。

 妹トシを前年の11月に亡くした賢治は、年が明けると上京し、当時本郷龍岡町に下宿していた弟清六のもとを訪れます。1923(大12)年1月4日のこととされています。続きは、清六さんに語ってもらいましょう。  

 “……大正十二年の正月に、兄はその大きなトランクを持って、突然本郷辰岡町の私の下宿へ現れた。
 「此の原稿を何かの雑誌社へもって行き、掲載さしてみろやじゃ」と兄は言い、それから二人で上野広小路へ行って、一皿三円のみはからい料理を注文して財布をはたき、さっさと郷里へ引き上げた。
 当時学生の私は、そのトランクを「婦人画報」の東京堂へ持って行き、その応接室へドシッと下し、小野浩という人に「読んでみて下さい」と言って帰ったのだった。
あの「風の又三郎」や「ビヂテリアン大祭」や「楢ノ木大学士の野宿」などと言う、桁っ外れの作品が、どうして婦人画報の読者たる、淑女諸氏と関係ある筈があろう。
「これは私の方に向きませんので」と数日後にその人は慇懃に言い、私は悄然とそれを下げて帰ったのだ。
 そいつを思う度毎に、私はあまりの可笑しさに、全く困って了うのだ。”
(『兄のトランク』(宮澤清六/筑摩書房/1987.9〔初出1941『創元』3月号〕)

 清六が会った東京社の「婦人画報」の編集担当者――というか(きちんと確認できてないのですが)「コドモノクニ」の担当者がというべきか――が、のちに自らも童話の創作にたずさわった“小野浩”なのです。

・追記
実は数年前に小野浩の事蹟を追ったことがあるのですが、そのときにある方からいただいた小野の人脈をたどるのに役立つ貴重なメールをいただきました。が、が、が、パソコンを替えた時に紛失してしまうという大失策をしてしまいました。生地の広島でも小野はほとんど注目されていないようです。この記事を偶然見られた小野ゆかりの方がおられれば、お知らせいただけるとたいへん幸せです。

おときさんの歌に涙して

 「なにそんなつまらないことで…」と、一笑にふされそうな、しかし私には解決のしようのないざらざらとした人間関係で心を痛め続けている毎日。きのうときょう、本とCDのやけ買いをするはめに・・・。

 谷川俊太郎/内田義彦『対話 言葉と科学と音楽と』(藤原書店/2008.4)

 ここに収められた3つの対談「音楽 この不思議なもの」「広告的存在としての人間」「にほん語が言葉になるとき」は、内田さんの著作集や遺作集で読んでいるはずなのに、とりわけ「音楽この不思議なもの」は、まったく読んだ記憶がない。どういうことだろう。おそらく読むのがもったいなくて、読まないままにしてあったのだろう。引き込まれるような流れのある対談のなかに、深い思考の回路が張りめぐらされていて、思わず立ちすくむこともしばしば。ゆっくり読んでいきたい対論。

 加藤登紀子さんのアルバム《SONGS うたが街に流れていた 》
 http://www.universalmusicworld.jp/kato_tokiko/uicz4180.html

2008年10月20日 (月)

こんな本が・・・

 平井一麥『六十一歳の大学生、父 野口冨士男の遺した一万枚の日記に挑む』(文春新書/2008.10)

 “あの”野口冨士男氏の・・・

2008年10月18日 (土)

秋明菊

  最近、シュウメイギクを目にすることが多い。心惹かれるたたずまいの花である。今まで名前を知らなかったので、目にしてもこちらからこの花を注視し語りかけることがなかっただけだろう。この花には秋明菊のほかにも貴船菊、加賀菊、越前菊など「菊」の和名がついているが、キンポウゲ科アネモネ属の花である。
 それにしても、心の余裕のなさが自然に目を向ける機会を奪ってしまっていることを感じるこの頃である。せめてこの花なりと接点にして自然との関係をたもっていきたいもの、と思う。

 今日18日は、1959(昭34)室生犀星夫人とみ子さんが亡くなられた命日。とみ子さんが脳溢血で倒れ半身不随になられたのは1937(昭12)年の11月13日。その間、戦争中の軽井沢疎開もふくめ犀星はとみ子さんを20年間いたわり続けた。馬込の自宅の庭に墓をつくる。翌年3月に、遺稿句集『とみ子発句集』発行。
  “この人こそ私の文学のただ一人の愛読者で、熱心な激励者の一人であったと言ってよかった。”

  *室生とみ子 1895.07.10~1959.10.18

 *シュウメイギク Anemone hupehensis var. japonica(Anemone japonica)
 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/shuumeigiku.html

2008年10月16日 (木)

『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童 子』

 犀星のあらたな魅力に光をあててくださった――しかも初期犀星の小説作品のアンソロジーの形で――『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』(東雅夫編/ちくま文庫/2009.9)の紹介をしたいのですが、なかなか時間がとれません。で、本の名の紹介だけ。

 小説というかたちにこだわらないのであれば、「後の日の童子」を核とする“童子”をめぐる作品群に、次の詩もふくめていただければ輪郭はいっそう鮮明になるのかも。(詩集『亡春詩集』より)

    童 子

 やや秋めける夕方どき
 わが家の門べに童子ひとりたたずめり

 行厨をかつぎいたくも疲れ
 わが名前ある表札を幾たびか読みつつ
 去らんとはせず
 その小さき影ちぢまり
 わが部屋の畳に沁みきゆることなし

 かくて夜ごとに来たり
 夜ごとに年とれる童子とはなり……

2008年10月15日 (水)

小野太三郎と田中正造

 小野太三郎と田中正造。この二人は不思議なことにほぼ一年違いの生を送っています。年譜を重ねてみると、――小野には今のところ不十分な年譜しかありませんが――明治という時代の諸相が、とりわけ現代にすくいとらねばならない重要な諸相が、見えてくるような気がします。

 小野太三郎
 天保11年1月15日(G:1840.02.17)~1912(M45).04.05

 田中正造
 天保12年11月03日(G:1841.12.15)~1913(T02).09.04

2008年10月12日 (日)

「社会福祉の祖 小野太三郎展」

 “小野太三郎”――。今、この名をご存じの方がどのくらいおられることだろうか。かつて横山源之助が『日本の下層社会』のなかで、「金沢人にして知事の名を知らざる者あるも、小野氏の名を知らざるものなし」と書いた、その人物である。私が小野太三郎の名を知ったのもこの『日本の下層社会』によってだったのですが、爾来、小野太三郎のことを少しでも知りたいとの思いでいました。源之助が太三郎を訪れた金沢の彦三町に太三郎の事業の痕跡がのこっていないかと古い地図探索もしたものでした。

 金沢ふるさと偉人館で「社会福祉の祖 小野太三郎展」が今秋に企画されていることを春に知ってから、見逃すことのないように機ををうかがっていて今日の訪問になりました。期待が大きすぎたのでしょうか、展示物の少なさや、それ以上に展示企画に掘り下げがあまりなされていないことに残念な思いをしましたが、歴史の現場に立ちたいという思いをその展示によって――それは社会の裏面史という貴重な史料です――少しは満たすことはできました。

 それにしても、このユニークな人物を今もいきいきとよみがえらせてくれる横山源之助の筆に――源之助が種本にした「小野君慈善録」を入手できましたが、やはりルポライター源之助が自ら取材した太三郎像が多くを語ってくれます――あらためて感嘆です。しかし、・・・
 小野太三郎の紹介は、この拙日記でも少しずつしてみたいと思っています。(前文末尾の「しかし・・・」の続きは、その折に。)

  *小野太三郎(おの・たさぶろう) 
   天保11年1月15日(G:1840.02.17)~1912(M45).04.05
 *横山源之助が金沢彦三町に小野太三郎を訪ね4,5時間面談したのは、1897(M30)年6月1日。太三郎57歳、源之助26歳。

2008年10月11日 (土)

海中生物の発光を追う連想

 下村脩さんのノーベル化学賞受賞のニュース「緑色蛍光タンパク質の発見」を耳にしたとき、無知な私は単純にも海中生物の発光現象として共通で、富山県人である私には身近な“ホタルイカ”の発光のことを思い出し、そこから賢治の『銀河鉄道の夜』のホタルイカ(蛍烏賊)の印象的なフレーズを想起し、――それは、ますむらひろしさんの「蛍烏賊観光ノ奨メ 」という賢治学会会報の印象的な文章(*)を同時に思いさせてくれたのですが――そこからは「ホタルイカの名付け親」である明治時代の生物学者・渡瀬庄三郎の富山湾探訪のことまでぐるぐると思いが巡りました。

  “ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと獲れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。”

 ところで、下村さんから渡瀬さんへの海に光るものを巡る連想は、まんざら無関係なものをつなげたものでもなかったようなのです。なんと渡瀬庄三郎だけでなく下村脩さんもホタルイカの発光を観察しに、富山県に来ているというのです。
 海中生物の発光に惹きつけられた人々を追うと不思議なことが見えてくるような気がしていますが・・・。

 (*)=http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho27/index.html

2008年10月 9日 (木)

ノーベル賞の対岸で

 三人のノーベル賞同時受賞で世の中が沸いていることを知らずにいて、その話題の断片だけ聞いて実感が伴わなかった昨晩と今日も同じことになってしまった。「今日も」科学賞!?。
 それにしてもこれだけ日本中を興奮させるノーベル賞とはいったい何なのか。

 ・・・と、書いていくと世のひんしゅくを買いそうだから、話を転じる。

 なにを隠そう小学生のころ私は、物理学オタクだった。100近くの元素もすべて覚えていたような気がする。相対性理論の入門書のようなものも読んでいたはずだ。湯川秀樹さんは神様だった。話を少し端折ると、私を文学少年に引き戻したのも湯川さんだったように思われる。湯川さんの自伝『旅人』を教職についていた伯父さんの家で見つけて、科学者の新鮮な目にふれたことが、物理から離れる機縁になったようなぼんやりとした記憶がある。

 今度の日曜日が、その伯父さんの七回忌の法事である。あらためて自分の足許を見つめなおしてみたいと切に思う、そんな秋である。

2008年10月 7日 (火)

二人のOさん

 二人のOさんとのお別れ。

2008年10月 5日 (日)

「万葉集全二十巻朗唱の会」

 今年もKさんの誘い(というか勝手な参加申し込み)で、「万葉集全二十巻朗唱の会」――「万葉集」4516首を三昼夜かけて歌い上げるイベント――に参加。参加といっても私は、万葉集の歌のうち巻17の3995番から3999番までの五首を朗唱?するだけ。イベント自体は今年で19回目だが、私はことしで4回目の参加である。
 ちなみに今年は、全国各地から2343人の参加者で4516首を歌い継ぐ予定だという(3日(金)10:30から~5日(日)21時頃まで)。    http://www.city.takaoka.toyama.jp/sangyo/0402/kankou/event/manyou/manyou-rosyonokai.htm

 9月は多忙で、練習?する時間もとれそうにないので今回は参加を辞退しようと思っていたのですが、断わりの連絡をする余裕もなく気がついたら10月になっていました。当日は時間があいてるから参加だけはできるが、「初見で」というわけにもいかず・・・ともたもたしているうちに、金曜日になってしまい、今さらドタキャンはできまいということで、やっと下記の五首に目を通した次第。土曜日の文法書片手の泥縄式奮闘?でなんとか責は果たしました。
 今までの3回はおもに長歌だったせいもあり細かな文法などまったく気にせず、現代訳を適当に頭にいれ、その代り極力暗記して、場に臨んだのですが、今回は覚える時間もなく、その代わりに逐語的に助詞や助動詞の意味や活用、接続をメモ紙に書き出し、朗読と意味の読み取りを同時に行うことを試みたようなわけです。そんな裏話はさておき、
 歌ったのは、次の五首:(表記は実行委員会からいただいたテキストによる。)

3995
 玉鉾の 道に出で立ち 別れなば 見ぬ日さまねみ 恋しけむかも

3996
 我が背子が 国へましなば ほととぎす 鳴かむ五月は さぶしけむかも

3997
 我なしと な詫びわが背子 ほととぎす 鳴かむ五月は 玉を貫かさね

3998
 我が宿の 花橘を 花ごめに 玉にそ我が貫く 待たば苦しみ

3999
 都辺に 立つ日近付く 飽くまでに 相見て行かな 恋ふる日多けむ

*この五首の成り立ちについて、雑感を後日書いてみたいとおもっています。。。。

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

最近のトラックバック

2016年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31